【ナダタマアーカイブス】都賀川がキレた日(naddis020810-132)

増水した都賀川。山が雲に覆われているのがわかる(2012.7.7)

浜手生まれの私は都賀川の事を「大石川」と呼びます。
都賀川なんて呼ぶようになったのは震災後かもしれません。
だって銀バス(阪神国道バス)の停留所も「大石川」だし。
南北で名称が変わる川は都賀川だけではありません。
「青谷川」は南では「西郷川(さいごうがわ)」もしくは「味泥川」
「石屋川」は「徳井川」と呼ばれていました。
距離的には近いのに山手と浜手とで住民のエゴがぶつかりあう灘区
の特徴的な現象です。こんな所から灘南北問題をおちゃらけるのも
とっても愉快なのですが、それはまた次の機会にします。

水辺で歓声をあげる子供たち、のんびり犬の散歩を楽しむ人々、
楽器の練習にいそしむ若人、すっかり灘の親水空間として定着した
都賀川。ほんの少し前まではチャリンコや洗濯機までもが捨てられ
る巨大なドブ川だったのですが、今では様々な人の努力により大阪
湾に注ぎ込む都市河川で唯一「鮎の産卵が確認される」川にまでに
なっています。

…ある日曜の夕方。
そんな都賀川がキレました。

「今日は久々に都賀川で三線、弾きましょか」
naddist読者からの誘いを受け、私は「船越」で鯨、レバ、葱間、
いも、れんこん、玉葱、ししとうなどの串カツを仕入れ、ビールを
買い込み都賀川に向かいました。
5人のメンバーがぼちぼちと三線を持って集合。
「まずは『通い船』弾きましょか」
『通い船』は、沖縄の新民謡です。サンフランシスコ講和条約締結
の前年、1951年に那覇~奄美~神戸間に「新興丸」が、その後有名
な「黒潮丸」など次々に船が就航しました。
それを受け1960年に、故郷を遠くはなれた大阪、神戸在住の琉球
方面の人々の思いを歌にした『通い船』がリリースされヒットしま
した。灘区は「奄美市場」もあったくらいで、多くの奄美出身の人
が住む町です。そんな事もありnaddistではこの曲を「ナダソニック
(灘区ゆかりの音)」として認定しているのです。

「♪サー なーはーとーやまとぅーぬ かゆーいぶにーよー」

都賀川のせせらぎと三線の音、そして船越の串カツとビール。
まさに灘的日曜のおだやかな夕べの一時でした。

だいぶ日も暮れた頃、にわかに空が曇ってきました。
「お、降ってきたなあ…」
そして雷鳴。みるみる雨足が強くなり、我々はヤマカンの橋の下に
逃げ込みむことにしました。
雨はますます強くなり、川の流れはみるみる早くなっていきます。
この時の神戸は1時間に17mmの強い雨が降っていました。

その時…。
上流の方から「ゴォーーッ」という音が聞こえたました。
その音がピンクフロイドのように近づいてきたかと思うと、

「シャワシャワシャワジャッバーン!!」

一瞬にして我々の足下に濁流が流れ込んできました。
川床に水があふれ、船越で買った鯨、レバ、葱間、いも、れんこん、
玉葱、ししとうは緑色の包み紙とともに一気に下流へと流れていき
ました。さすが船越の串カツや、船のように見事に流れていくなあ
…なんて悠長なことは考えている暇もありません。

「やばい!避難や!」
「上流に進むのは無理!下流の区民ホールの所まで行きましょう!」

すっかり暗くなった川床。三面張にこだましスーパーウーハーで腹
に響く水の轟音。かすかに響く上流の六甲川からの「ドーンドーン」
という恐ろしい波音。足元には濁流。そして容赦なく降り続く雨。
神戸の川は山から河口までの距離が短く、急なので一気に水が流れ
ます。深い河川の断面設計はそのためです。

「次の波が襲ってきたら…かなりヤバイ…」

すぐそこに見える灘署にも我々の叫びも届きません。
数年前の台風の朝、護国神社横からゴムボートによる都賀川下りを
決行し、灘署に網で救助され、お灸をすえられた無謀なクミンのこ
とを思い出しました。

水かさは次第に増え、場所によっては膝上あたりまで来つつありま
した。段差のあるところはナイアガラの滝のようになっています。

「もうちょっとで上がれるで!がんばれ!!」
必死で脱出を試みる我々に、区民ホールの川岸にいるおじさんの声
が掛かります。

なんとか区民ホール下の階段にたどりついた我々は上から下まで
ずぶ濡れ。
「・・・・・・・・・怖・・」
雨はいつの間に小降りになり、川の水も引きつつありました。
我々はおたがいの無事を確かめあい、帰途につきました。

また明日になれば水辺で歓声をあげる子供たち、のんびり犬の散歩
を楽しむ人々、楽器の練習にいそしむ若人が三々五々集まる、おだ
やかな都賀川に戻るのでしょう。

神戸は昔からほぼ30年周期で水害に見舞われてきました。
前回が1968年1967年。そんなことを考えながら少しゾっとしました。
キレた都賀川。
今回の事件は、30年以上耐えつづけている都賀川の小さな警告だっ
たのかもしれません…。

(naddis020810-132 都賀川がキレた日 2002.8.10より)


【灘の昼ごはん367食目】cafe702「カレーライス」

諸説あるが土用の丑の日に鰻を食べる風習はうなぎ屋の販売促進コピーがきっかけらしい。さすがにここまで風物詩になるとは当時は予想できなかったとは思うけど、「土用の丑の日は鰻」という販促コピーが鰻を絶滅危惧種に追い込むんだから恐ろしい。とにかく日本人はこの手のコピーに弱い。いや弱すぎる。「夏はカレー」だってそうだ。ハウスのCMで西城秀樹が「夏はカレー!」と言えばルーの売り上げが上がった。いや、ヒデキじゃなくてマッチか。その後キャンディーズの「おせちもいいけどカレーもね」とか、カレールー業界のキャッチコピーのなんでもあり感は最強だ。そのうち「加計もいいけどカレーもね」とかいい始めるんじゃないか。土用の丑の日の翌日、摩耶山はエアコン入れてるんじゃないかと思えるくらい爽やかで涼しい。暑苦しい街を見下ろし、ヒグラシの声を聞きながらのランチタイム。10種類のスパイスとココナッツミルクがとろーり溶けてるcafe702特製チキンカレーは650円とは思えないヒデキカンゲキなクオリティ。やっぱり夏は摩耶山でカレーなのだ。

cafe702「カレーライス」
●場所
神戸市灘区摩耶山町(摩耶ロープウェー星の駅2階)
●本日の昼食
カレーライス
650円


【灘の朝ごはん3食目】しろかね珈琲店

通りから店内が丸見えの喫茶店を勝手に「見える化フェ」と呼んでいる。ガラス張りにしてオープンに、とかハッタリ系ポピュリスト首長の公約じゃないんだからと言いたい。喫茶店は街のシェルターだ。なんでもガラス張りにされちゃたまったもんじゃない。飲みすぎた朝とかパツンパツンにむくんだ顔でコーヒーをすする姿とか外から見られたくないじゃないですか。でも、店内から通りを歩く人を眺めるのは結構好きだったりする。だからといって外から見えず、中から見えるフィルムをガラスに貼ったらエロ本の自販機になってしまう。この矛盾を解決するのが高低差だ。一見、見える化フェ風の「しろかね珈琲店」の2階席は通りを歩く人と視線が合わず街を眺められる。駅へ急ぐサラリーマンが天神筋あたりの病院へ向かうお婆さんとぶつかりそうになって謝ったりしてるのを眺めてるとちょっと楽しい。視点が変わるといつもの街も違って見える。喫茶ローズの「低さ」もいいけど、しろかね珈琲店の「高さ」もいい。かつて「精密機械」と呼ばれた広島の北別府のような高低の使い分けが灘ライフを豊かにするんだよな〜、なんてウンウンとうなづいてたら水道筋交番のおまわりさんと目が合った。

しろかね珈琲店
●場所
神戸市灘区水道筋5丁目
●本日の朝食
モーニングプレートセットA
ホットコーヒー、ロールパン、目玉焼き、ベーコン、サラダ
450円


【今日は灘の日】7月20日

[今日は灘の日]1934年(昭和9)7月20日 国鉄六甲道駅開業

『ノンコ マイ ラブ/六甲道』 金森隆&ルーマーズ(1977年)

『ノンコ マイ ラブ/六甲道』
金森隆&ルーマーズ(1977年)
B面の『六甲道』はギターの近藤敬三氏(下條薫)が作詞作曲。近藤氏は神戸出身でルーマーズ加入前に作っておいた『六甲道』を金森氏が気に入りレコーディング。当初は完成度の高い『六甲道』をA面にする予定だったが、担当ディレクターの一声で『ノンコ マイ ラブ』がA面になった。


【灘の昼ごはん366食目】あらたや「海爆弾」

「共謀罪」法が施行された。今後、東神戸マラソン(主催:ナダタマ)が「反神戸マラソンを掲げる危険分子のデモ行為」ということで監視の対象に入ったり、六甲縦走キャノンボールが「過激集団による六甲山山岳ゲリラ育成プログラム」などと因縁をつけられる可能性だって十分ある。そして灘区のリーサルウェポン「海爆弾・山爆弾」を「爆弾、海山各10個ずつ例の場所によろしく」とLINEで発注しただけでパクられるかもしれない。恐ろしい世の中になった。この日は摩耶山下山部だった。摩耶山から男女23名が爆弾(海爆弾と山爆弾)をリュックに忍ばせて桜谷を下った。ここだけ読むと連合赤軍の山岳訓練みたいだ。まずい。徳川道との合流点、摩耶山屈指の昼ごはんスポット桜谷出合で昼飯。海爆弾は別名「携帯幕の内弁当」と言われる通り、おむすびの中に塩サバ、海老の唐揚げ、竹輪甘辛煮、昆布佃煮など海の幸がゴロゴロ詰まっていてなかなかの破壊力。それにしても山の中は安心だ。監視カメラのない山の中では爆弾をパクついてもパクられることはない。

あらたや「海爆弾」
※毎月第三土曜日に摩耶ロープウェー虹の駅構内の「虹の茶屋」にて限定発売
●場所
神戸市灘区篠原南町7丁目(東畑原市場)
●本日の昼食
海爆弾(塩サバ、海老の唐揚げ、竹輪甘辛煮、昆布佃煮)
400円


【灘の朝ごはん2食目】喫茶ローズ

喫茶「ローズ」のテーブルは低い。どれくらい低いかというと「今日は、暑いのう」とか言いながらパタパタとうちわを仰いでいる笠智衆を捉える小津安二郎のカメラの位置くらい低い。わかりにくいな。このちゃぶ台以上テーブル未満の、いわゆる「純喫茶」独特のテーブルの高さは、ちゃぶ台という和の文化とカフェという洋の文化がせめぎあった末のいい塩梅の高さなのではないか。知らんけど。やがて膝の高さのテーブルにトーストとコーヒーが運ばれてくる。壁に目をやるとALTECのスピーカーとエキストラコーヒーのカレンダー、年代物の巨大なダイキンのクーラーがブンと低い唸りを上げながら冷気を吐き出す。月曜日特有の気ぜわしい前のめり感がふっと落ち着く。ここはあえて月曜日の朝に行くのがいいかもしれない。丸みを帯びた窓枠に金色のカーテンがかる0系新幹線のグリーン車のような窓からは坂道が見える。梅雨の時期は地獄坂を登る神戸高生の足取りも重い。今日も暑くなりそうだ。

喫茶ローズ
●場所
神戸市灘区天城通7丁目
●本日の朝食
ホットコーヒー、トースト
280円


【今日は灘の日】7月9日

1967年(昭和42)7月9日 集中豪雨(329mm/日)により摩耶山、六甲山麓の崖崩れ、都賀川、観音寺川、西郷川などが押し流した土砂で被害甚大。篠原本町の田岡邸前には土砂が堆積。灘区内の被害は死者6、行方不明1、重傷3、家屋全壊・流出64、半壊62、床上浸水357、床下浸水1541、河川決壊6、溢水氾濫15、決壊危険11、橋破損3、山崩れ16、崖崩れ10、石垣崩れ1、道路閉塞13、道路崩壊3、溝溢水17

日柳川が氾濫し始めた灘公設市場付近

篠原本町の被害状況