【ナダタマアーカイブス】灘声灘語<阪急六甲北側盛衰>(naddis010820) 

1980年代、阪急六甲北側界隈の店主らは、すでに危機感を感じてい
た▼松蔭が垂水の山奥からやって来て、折からの女子大生ブームも
あって阪急六甲北側の坂道は華やいでいた。「ウエザーリポート」
「OLD & NEW」「遠山屋」など、女子大の街を当て込んだと見える
大型飲食店と、服飾系のスパイスの効いた小さな店が相次いで出現
した。ヌーベル六甲のテナントはほとんど埋まり、美容院やケーキ
屋も増えた▼JJでは、「六甲界隈のニュートラ女子大生、母娘2代
でお買い物。小物使いは母がお手本」の図がこれぞ神戸エレガンス
とばかり演出された。だが界隈の店主らは「そら宮前市場の話か?」
六甲口にはひと山150円の玉ねぎをネギるおかんと娘はおっても、
阪急六甲界隈では買い物どころか通過されるばかりやと嘆いた▼金
をたくさん持っていると期待された松蔭生は、駅北側の寮生ですら
ほとんど街には目をくれず、坂の途中で出会うと必ず「ひさしぶり
~」といいながら腰のあたりで手首から上だけ動かして手を振る奇
妙なあいさつをしつつ梅田か三宮に直行した。もしくは彼氏の車で
苦楽園などに行ってしまった▼街に残ったのは、コーヒー1杯やト
ースト1枚で何時間も粘る神&神外大の貧乏学生。喫茶Tのバケツ
オーレ、今はなきYまんのびっくりうどん、そしてO屋の横綱うどん
一気食い者名前張り出しに一喜一憂していた。阪急六甲北側の某ピ
ザハウスがピザを食う客に絶対にドリンクを強要したのは、店の自
衛策なのだろう▼店主や六甲の街を愛する人々は、なんとか岡本み
たく女子大生がたむろしてお金を落とす街にしようと、坂道に名前
をつけようとしたり、ミニコミ誌を作ったり、個性的な食べ物のメ
ニューを考えたりした。先出の某ピザハウスの「ピザ食べ放題」は、
今でこそ当たり前だが当時としては画期的で、さすがの松蔭生も食
べざるを得なかったという。街に対する、今とは一味違う一生懸命
さがあった時代だ。