【灘昭和館】阪急西灘駅

33年前のロサンゼルスオリンピックの年、5月のどんよりと曇った日だったと思う。

「松蔭に可愛い子がおるねん。知っとお?」

西灘楽天地の「モスバーガー西灘店」で学校をサボっていた時、友人から聞かれた。

「いや」

学校までの長い坂を登る気力も知力も体力も消え失せていた僕は、そんなことは
どうでもよかったが、友人と別れたあと、当時松蔭生がよく立ち寄った阪急西灘駅
東口の「あんどれ」を覗いてみた。
もちろん、その可愛い子はいなかった。というよりどんな顔かも知らない。
駅には張り紙があった。
「6月1日から阪急西灘駅は阪急王子公園駅に変わります」
顔もわからない松蔭生より、そっちの方が気になった。

5月31日、珍しく学校に行ったあと、坂を下り今日で最後という阪急西灘駅に向かった。
なんとなく「阪急電鉄 西灘 59−5-31」と刻印された入場券を買ってから、
ふと「あんどれ」を覗いた。
もちろん彼女はいなかった。

見知らぬ松蔭生は西灘駅が王子公園駅に変わるのと時を同じくして東京へ旅立った。
彼女が「南野陽子」としてデビューするのはちょうど1年後だった。

そして今日、2系統のバス道沿いの骨董店で33年ぶりに西灘駅を手に入れた。


【灘昭和館】牛乳箱

昭和150123

灘は酪農の街だった。といっても六甲山牧場のことではない。
阪急王子公園駅の南や市バスの石屋川車庫も元々は牧場だったし、国登録有形文化に指定された鈴木薄荷の本社は元々牛乳会社の建物だったとか。水道筋の東端、旧ダイエーの北には「六甲牧場」があった。六甲山牧場ではなく六甲牧場。灘区の小学校の給食は六甲牧場の牛乳だった。ずんぐりとした瓶に三つ鱗のロゴ、紙製の牛乳キャップは薄紫色のビニールがかぶせられ赤いテープでとめられていた。そんな六甲牧場も都市化の波には勝てず西区へ移転、2003年に自己破産してしまった。

上河原通にも小さな牧場があった。都賀川沿いを歩いていると「モー」というまさかの牛の鳴き声。細い路地を入っていくと小さな空き地に牛が1頭か2頭いた。4畳半フォークならぬ四畳半酪農。プンと牛糞とエサの匂いがして、牛の横には牛乳の入ったステンレスの容器もあった。何か見てはいけないものを見てしまったような気がして逃げるように路地を出た記憶がある。この都市型極小牧場もいつの間にかなくなった。

街角の風景から消えた木製の牛乳箱が灘中央市場の裏路地に残っていた。蓋が開いてパタンと閉じるキュートなボックス。この「パタン」という音がよかったんですよね。牛乳瓶が自転車の荷台でガチャガチャぶつかる音とパタン、パタン、パタン…という昭和の朝の音。
しかし「天月(処)理場」ってどこにあったんですかね?