【灘昭和館】牛乳箱

昭和150123

灘は酪農の街だった。といっても六甲山牧場のことではない。
阪急王子公園駅の南や市バスの石屋川車庫も元々は牧場だったし、国登録有形文化に指定された鈴木薄荷の本社は元々牛乳会社の建物だったとか。水道筋の東端、旧ダイエーの北には「六甲牧場」があった。六甲山牧場ではなく六甲牧場。灘区の小学校の給食は六甲牧場の牛乳だった。ずんぐりとした瓶に三つ鱗のロゴ、紙製の牛乳キャップは薄紫色のビニールがかぶせられ赤いテープでとめられていた。そんな六甲牧場も都市化の波には勝てず西区へ移転、2003年に自己破産してしまった。

上河原通にも小さな牧場があった。都賀川沿いを歩いていると「モー」というまさかの牛の鳴き声。細い路地を入っていくと小さな空き地に牛が1頭か2頭いた。4畳半フォークならぬ四畳半酪農。プンと牛糞とエサの匂いがして、牛の横には牛乳の入ったステンレスの容器もあった。何か見てはいけないものを見てしまったような気がして逃げるように路地を出た記憶がある。この都市型極小牧場もいつの間にかなくなった。

街角の風景から消えた木製の牛乳箱が灘中央市場の裏路地に残っていた。蓋が開いてパタンと閉じるキュートなボックス。この「パタン」という音がよかったんですよね。牛乳瓶が自転車の荷台でガチャガチャぶつかる音とパタン、パタン、パタン…という昭和の朝の音。
しかし「天月(処)理場」ってどこにあったんですかね?